ビリケン(BILLIKEN)は、1907年(明治40年)にアメリカの女流彫刻家が神の姿を夢想して制作し、翌年シカゴの美術博覧会に出展したものです。これが人々の好奇心をそそり、練り大理石製の坐像やセルロイド製の人形が幸運のマスコット、ラッキーゴッドとして世界中に流行したもので日本には明治の終わりの頃に渡ってきました。ビリケンの由来は、当時のアメリカ大統領ウィリアム・タフトの愛称ビルにちなんだものといわれていますが、近年ビリケンのモデルはアラスカのイヌイット族の間で500年以上前からセイウチの牙で作られているべリケン(BELLIKEN)という人形ではないかといわれています。ビリケンは最初の3,4年で2万種類以上のグッズが作られたといわれています。有名なものとしては、フランスの装飾品メーカーのカルティエ社が1923年に製作したミステリークロック『ポルティコ』(鳥居の形をした置時計の頂部に水晶のビリケンが座っているデザインで現在もカルティエ社のミュージアムに収蔵されている)。テディベアで有名なドイツのシュタイフ社が、1920年に製造販売したぬいぐるみ。ビリケンの版権を買い取ったビリケン・カンパニー社が製造販売したチョークウェア製の坐像。ビビアン・リー主演の映画『哀愁』の中に登場する幸運のマスコット人形などがあります。又、キューピー(1912年アメリカの女流芸術家ローゼ・オニールがデザインした人形)との共通点も多く、作られた年代からしてビリケンがキューピーのモデルであった可能性が高いといわれています。
当社のビリケン様は、大正の初め神戸に寄港したアメリカ人の水兵によってもたらされたビリケンを見た元町の洋食屋の主人が本物をまねて作らせたものです。木製の此のビリケン様は、全体に朱の漆を塗り、米俵に腰をおろし右手に打ち出の小槌、左手に瑞玉を持ち、背中に大判を背負うという全身福のかたまりのような坐像です。当時は大黒様と混ざったようなこの和洋折衷のビリケンのことを「ジャパンビリケン」とも言ったそうです。これを洋食屋の店頭に安置したところ多くの方が訪れ店は繁盛しましたが、大正の末の頃、縁あって当社に奉納され、以来80年余り松尾稲荷の福の神『松福様』として多くの参拝者に親しまれ篤い信仰を受けてきました。現在では除災招福のご神徳に加え、病気平癒の神、子供の神ひいては学業向上の神としても信仰を集めてい
ます。因みに当社のビリケン様は公共の場所に安置されている
ビリケンとしては関東の利根川沿いに安置されているビリケン像
と同時期の最も古い像であると思われます。
もちろんジャパンビリケンとしては日本最古のビリケン様です。